2011年 04月 19日

徳川幕府五代将軍綱吉は「生類哀れみの令」を出したことで歴史に名を残しているが、生き物の殺生を禁じ、江戸中の犬をここに囲っていた。その数、8万頭とも10万頭とも言われ、犬を飼う餌代も大変だったとか。それがここ、囲町の由来である。
囲町はその後、昭和の時代に、陸軍中野学校が置かれたことでも知られている。こうしてみると囲町とはずいぶん歴史のある場所なのだ。陸軍中野学校は戦後、警察大学校として引き継がれ、かれこれ今から10年ほど前まで一帯は警察関係施設区域として機能していた。
ところで、2011年の現在、この地域は大きく変わりつつある。再開発の真っただ中なのだ。東京警察病院の新築を皮切りに、広大な敷地には、いくつかの大学やタワーオフィスが建設中だ。新しい道も造られ、幾つも建ち上がったクレーンが毎日忙しく稼働している。昔の面影を一切払拭するように。
旧町名囲町は、1966年に行われた町名変更により、中野区中野という全く意味を持たない名に変わった。地名には歴史があり、その名が付けられた理由が必ずある。たとえば水に関係する地名には、川や沼のそばで土地が低かったり、雨が溜まったりと、水害などの可能性を示唆しているものもある。住む人はそれを知って心に留めておいた方がいい。自然災害を防ぐことはできないが、日頃の意識を高めておくことには役立つだろう。
KEI
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| 2011-04-19 17:20
| 日本あっちこっち