中学時代大好きな先生がいた。体育教師のT先生だ。
T先生は時間講師。産休の代用教員として授業を受け持っていた。
女性をたとえる形容詞に「凛とした」ということばがあるが、私にとってT先生はまさに凛としたという表現の当てはまる女性だった。
今考えれば先生は30にもいかない若さだったが、年端のいかない中学生から見るととても大人に見えた。
先生はいつも姿勢がよく、頭のてっぺんから足の裏までがすぅっと一直線で通り、仕草もふるまいも美しかった。
ある冬の朝、その日の体育授業は体育館の中だった。
寒さでちぢこまりながら整列をした私たちを前に、先生はこう言った。
「今日はとっても寒い日ですね。でも、こんなはりつめた冷たい空気もとても気持ちの良いものです。寒い寒いと思わないで少しずつ体を動かしていきましょう!」
いつもながらの先生の丁寧できちんとした言葉遣いは、まったくそうだな、と素直に頷きたくなる雰囲気があった。
そして、その一言で体育館の空気がすがすがしく生まれ変わったような気がした。
そうはいうものの朝の体育館は底冷えで、みんなの吐く息は白かった。
先生はボブスタイルの髪の上半分を後できっちりと束ね、色白の頬を紅潮させながら一緒にウォーミングアップを始め、体育館の中を2,3週ランニングした。
体育着だからどんなものを着ても誰彼たいして変わりはなさそうなものだが、先生の体育着姿は他の人とは違い、すてきだった。
その日は黒のジャージーのパンツに薄ピンクのトレーナー、首にスカーフ、手には黒の手袋をはめていた。
薄ピンクは色白の先生によく似合っていた。そしてピンクに黒の手袋の組み合わせは妙に印象的で、それはフランス映画にでも出てきそうな女性の色気をも感じさせた。
事実、T先生はがさつになりがちな公立中学校の中で唯一エレガントな存在だった。ともすると体育教師にありがちな(女性であっても)横柄さやふてぶてしさはみじんもなかったのである。
T先生の授業の中でいまだに忘れられないのが「ハードル」の授業である。
ハードルを跳ぶ。
最初はハードルの存在がとても大きく感じられてしまう。
踏み込む位置やタイミングが合わないと白黒のバーを倒してオタオタするのだ。
先生がどのように指導してくれたのか、技術的なことは全く覚えていないのだが、その授業で初めて知ったのは、ハードルはすべてなぎ倒して前進してもかまわないということだった。
全部倒してもいいならと思っても、競技においては倒した方が圧倒的にタイムは遅くなる。だから陸上選手はスイスイとまるでハードルの上に鳥が飛んでいるかのように次々とクリアしていくのだ。
練習していくうち得たことは、言葉にするとこうだ。
「ハードルをハードルと思わない」いわば「無」のような感覚である。
これがつかめると不思議と連続して跳べるようになる。
ハードルがあると思わないこと、そしてたとえ倒しても全く臆せず前進すること、それがこの授業で得た自分への教訓であった。
しかも先生はそのことを手取り足取り教えこんだというのでもない。会得するための時間をくれただけなのだ。確かにT先生は他の先生よりたくさん練習時間をとってくれた。そして、生徒ひとりひとりの練習姿を見ながら
「そうそう、それでいいのよ!」
というふうに笑顔でうなずき、励まし、見守ってくれた。
新学期が始まり、ふと気づいたら先生はもう学校にはいなかった。
もともと講師だったから体育の時間にしか接することはなかったのではあるが、さよならも言えずそのままになってしまい、私は寂しく心残りだった。そしていつも先生が戻ってくるのではないかと姿を捜していた。
ハードルを越える。それは陸上競技の「ハードル」に限らない。
ふりかえれば、先生は代用教員という不確かな身分であったにもかかわらず、そうしたそぶりは少しも見せず、いつも「前向き」を感じさせる人だった。
おそらく彼女の前に立ちはだかったいくつもの「ハードル」は、彼女流のやり方でしなやかにクリアされていったに違いない。そんな気がする。
そしてハードルをハードルと思わないこと、その感覚は私の心の片隅に今も存在しつづけている。
KEI