2013年 07月 22日
傘と閉店
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自宅近くの新聞販売所が閉店した。Y新聞の某店である。
理由はわからないが、新聞離れ、紙離れと関係がないとは思えない。
人海戦術の新聞配達だからこうした人材の確保もむずかしかくなったのかもしれない。
昔は新聞をとっている家がほとんどだった。
朝の茶の間に新聞がないなんてありえなかったし、一家の主が新聞を読まないなんてもっとありえなかった。
しかし、今の若い家庭は新聞をとっている方が少ないくらいだろう。
ネットでいくらでも情報が得られる時代、お金を払ってまで新聞にたよらなければならない時代ではなくなったのだ。
もちろん情報ソースのひとつとして新聞の価値は今もこれからも変わらないだろうけれど、ザラ紙に刷って家庭の戸口まで配達されるスタイルは、すでに昔のお父さんの時代の物になりつつあるのかも。
今からかれこれ5,6年前のこと。
「傘、持っていきませんかー」
自宅近くの曲がり角に来たとき、何やら声が聞こえる。
どうやらずぶ濡れで通り過ぎた私を呼んでいるようだ。
帰り路、駅を降りたったら小雨が降っていた。
かなり降っていたら駅前のコンビニでビニール傘を調達するところだが、それほどでもない。
「まあいいか、たいしたことはないだろう」と思い、そのまま歩いて行くことにした。
駅から自宅までは私の足で12,3分。歩き出した時はポツポツの雨が、予測を裏切り本降りになってしまった。
気付いた時にはすでに遅し。商店街から外れて傘が買える店はない。
しかたがないので、着ていたジャケットを脱いで、頭の上からかぶって小走りに家路を急いだ。
その時、呼び止めてくれたのがこの新聞販売所のおねえさんだったのだ。
残念ながら我が家ではY新聞を取ってはおらず、それまでまったく縁がない店ではあったが、以降この販売所の存在が気になっていた。
最近は女性の姿を見かけることもなく、くだんの出来事も思い出すこともなかったのだが、突然出くわした閉店の貼り紙に人ごととは思えない衝撃を受けた。
あったものがなくなるさみしさ、それはもちろんだけれど、この一枚が大げさに言えば、新聞の明日、そして商店の明日を語っている、そんな気がしたのだ。
一店、また一店と近年身の回りの様々な個店が消えてゆく。個店は生の、それも比較的狭い範囲の人と人とを結び付けるものだ。しかしながら今は実店舗に行かなくとも、ネットの雲の上で買い物はいくらでもできるし、それで間に合ってしまう。どんな人が店主でどんな顔をしているのかも知らぬまま。
これからは帰り道で傘を貸してくれるような店はおそらく現れないだろう。
もちろんそれに代わる新しい商いのスタイル、新しい出会いはあるのだろうけれど。
中島みゆきじゃないけれど、時代はまわり、めぐるのだ。(古いか)
「いつぞやはありがとう」
もぬけの殻になった店舗をのぞきながら、そっと心の中でつぶやいた。
KEI
理由はわからないが、新聞離れ、紙離れと関係がないとは思えない。
人海戦術の新聞配達だからこうした人材の確保もむずかしかくなったのかもしれない。
昔は新聞をとっている家がほとんどだった。
朝の茶の間に新聞がないなんてありえなかったし、一家の主が新聞を読まないなんてもっとありえなかった。
しかし、今の若い家庭は新聞をとっている方が少ないくらいだろう。
ネットでいくらでも情報が得られる時代、お金を払ってまで新聞にたよらなければならない時代ではなくなったのだ。
もちろん情報ソースのひとつとして新聞の価値は今もこれからも変わらないだろうけれど、ザラ紙に刷って家庭の戸口まで配達されるスタイルは、すでに昔のお父さんの時代の物になりつつあるのかも。
今からかれこれ5,6年前のこと。
「傘、持っていきませんかー」
自宅近くの曲がり角に来たとき、何やら声が聞こえる。
どうやらずぶ濡れで通り過ぎた私を呼んでいるようだ。
帰り路、駅を降りたったら小雨が降っていた。
かなり降っていたら駅前のコンビニでビニール傘を調達するところだが、それほどでもない。
「まあいいか、たいしたことはないだろう」と思い、そのまま歩いて行くことにした。
駅から自宅までは私の足で12,3分。歩き出した時はポツポツの雨が、予測を裏切り本降りになってしまった。
気付いた時にはすでに遅し。商店街から外れて傘が買える店はない。
しかたがないので、着ていたジャケットを脱いで、頭の上からかぶって小走りに家路を急いだ。
その時、呼び止めてくれたのがこの新聞販売所のおねえさんだったのだ。
残念ながら我が家ではY新聞を取ってはおらず、それまでまったく縁がない店ではあったが、以降この販売所の存在が気になっていた。
最近は女性の姿を見かけることもなく、くだんの出来事も思い出すこともなかったのだが、突然出くわした閉店の貼り紙に人ごととは思えない衝撃を受けた。
あったものがなくなるさみしさ、それはもちろんだけれど、この一枚が大げさに言えば、新聞の明日、そして商店の明日を語っている、そんな気がしたのだ。
一店、また一店と近年身の回りの様々な個店が消えてゆく。個店は生の、それも比較的狭い範囲の人と人とを結び付けるものだ。しかしながら今は実店舗に行かなくとも、ネットの雲の上で買い物はいくらでもできるし、それで間に合ってしまう。どんな人が店主でどんな顔をしているのかも知らぬまま。
これからは帰り道で傘を貸してくれるような店はおそらく現れないだろう。
もちろんそれに代わる新しい商いのスタイル、新しい出会いはあるのだろうけれど。
中島みゆきじゃないけれど、時代はまわり、めぐるのだ。(古いか)
「いつぞやはありがとう」
もぬけの殻になった店舗をのぞきながら、そっと心の中でつぶやいた。
KEI
by kmd-design
| 2013-07-22 22:38
| Essay