2013年 03月 19日
父を送る
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電車のドアが開いた瞬間、かすかに花の香りがした。
春が来たのだ。
それと同時に、老いた父はついにこの冬を越すことができなかったな、と思った。
二月の寒い日、父は亡くなった。
正確だった時計がある時音もなく止まってしまったかのように。
「寿命」という言葉がふさわしい死に方だった。
親の死はもちろん覚悟はしていたものの、
死なれてみると、やり残してしまった思いばかりが大きい。
若い頃、両親はそんなに好きではなかった。
何が悪いと言うほどのこともない。彼らはごくごく一般的な小市民。それが気に食わなかった。
私は彼らを反面教師と思っていた。
けれど歳を追う毎にそんなことはどうでもよくなった。
やがて自分も親の立場になると、親の気持ちがよくわかるようになった。
それはどんなことがあっても親は子供を見放さないという確証だ。
親と子はそれだけで充分なのだ。
私の一番の理解者だった父。
葬儀の朝、「ありがとう」の気持ちをしたためた手紙を柩の中に入れた。
声に出して言おうものなら涙が止まらないと思ったから。
そして、手紙の最後にこう書いた。
「30年後にまた会いましょう」と。
またこの人の娘になるのも悪くない。
死んだらそれで終わり、ってことはない。そう信じている。
春が来たのだ。
それと同時に、老いた父はついにこの冬を越すことができなかったな、と思った。
二月の寒い日、父は亡くなった。
正確だった時計がある時音もなく止まってしまったかのように。
「寿命」という言葉がふさわしい死に方だった。
親の死はもちろん覚悟はしていたものの、
死なれてみると、やり残してしまった思いばかりが大きい。
若い頃、両親はそんなに好きではなかった。
何が悪いと言うほどのこともない。彼らはごくごく一般的な小市民。それが気に食わなかった。
私は彼らを反面教師と思っていた。
けれど歳を追う毎にそんなことはどうでもよくなった。
やがて自分も親の立場になると、親の気持ちがよくわかるようになった。
それはどんなことがあっても親は子供を見放さないという確証だ。
親と子はそれだけで充分なのだ。
私の一番の理解者だった父。
葬儀の朝、「ありがとう」の気持ちをしたためた手紙を柩の中に入れた。
声に出して言おうものなら涙が止まらないと思ったから。
そして、手紙の最後にこう書いた。
「30年後にまた会いましょう」と。
またこの人の娘になるのも悪くない。
死んだらそれで終わり、ってことはない。そう信じている。
KEI
by kmd-design
| 2013-03-19 15:39
| 身近な日常