2013年 01月 18日
プールをめぐる三つの殺人
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プールの写真をUPしようと思ってふと思った。
水のゆらめきは絵に描けばまさにデヴィッド・ホックニーのようだ、と。
そしてこのゆらめきから始まる『Swimming Pool』というイギリス映画を思い出した。
『Swimming Pool』はフランソワ・オゾンという監督のミステリアスでセクシャルな作品である。
中年の女流推理小説家が主人公なのだが、そこへ若い女が交錯する。
年齢も性格も相対する二人。女流作家は若い女の若さや奔放さに嫉妬する。しかし、若い女は自分のアイデンティーのなさに不安を持っている。不安の裏返しが奔放な行動となって表れるのだ。どちらの女性心理もわからないではない。ないものねだり、なのだから。
ここでいうところのプールは、物語の舞台となる夏の別荘のプールだが、そこは殺人が行われたかもしれない疑惑の場所である。
『Swimming Pool』ではプールを、二人の心理や葛藤を投影する場として使っている。
もうひとつのプールは、少々古いが、ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』のプールだ。「サンセット大通り」とは、往年の大女優の邸宅がある場所を示しているのだが、過去の輝かしい栄光にしがみつく女優の今を「サンセット」と表したのだろう。
物語は、女優の大邸宅のプールに男の死体が浮かんでいるところから始まる。このシーンは見事なまでのインパクトがあるのだが、それは死体をプールの底、つまり水中から、上の世界を見上げるように撮っているから。カメラは目を開けたまま死んでいる男の顔や、死体を見下ろすプール際の人々を追う。水中からの視点とは、一体誰の視点なのか?神のみぞ知る、である。おそらく監督は「逆撮り」がやりたくてこの作品を作ったのではないかとさえ思わせるようなシーンだが、残念ながらその後の展開ではそうした「視点」を感じさせるものはない。
ただ、プールで死んだ男は、プール付きの家に住みたいと思っていたしがない脚本書きで、売れない男の皮肉な結末にプールが使われている。
三作目は日本映画の『告白』である。推理作家、湊かなえの同名小説を映画化したもので、女優松たか子が主人公の女教師を演じている。
この映画は、ストーリーはともかく映像と音声が極めて美しい。女教師の語りと共に展開する映像は、言葉がそのまま映像になって投げ出されたようだ。
ここでのプールは女教師の一人娘が殺された場所である。神聖であるはずの学校という場所、そのプールで取り返しのつかない行為が行われたのだ。プールは心の闇だ。
水という場所、水という液体、その関係からか、この作品ではさまざまな「液体」に対する表現が際立った。
こうしてみると、三つのプールの話に共通するのは偶然にも「殺人」であることに気付く。
プールは「殺人」を呼ぶ場所なのだ!
何とも物騒な結論になってしまったが、所詮はフィクション。心配には及ばない。
それよりこう言い換えることができるかもしれない。
プールとは、「想像力をかきたてる場所」である、と。
KEI
by kmd-design
| 2013-01-18 16:19
| Book & Cinema