2012年 07月 26日
出島のチャンポンルーム
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長崎「出島」は、鎖国時代の日本で唯一海外に開かれていた場所である。最初はキリスト教を布教するポルトガル人を隔離するために造られたが、後に東インド会社の貿易商(オランダ人)の居留地へと目的が変わった。
現在の「出島」は観光施設として近年復元されたもので、オランダ人が住んでいた当時が再現されている。復元に際しては、日本史の教科書に必ず登場するあの絵、すなわちシーボルトのお抱え絵師、川原慶賀が書いた扇形の出島の絵がベースになっている。
出島の中心にはカピタン部屋と名付けられた出島のボスの住居がある。長崎にはさまざまな外来語があるが、カピタンとは英語のCAPTAINから来ているとのこと。
そうした雑学はともかくとして、カピタン部屋はオランダ人が日本家屋をどのように使っていたかがわかる面白いところである。そう、出島の建物は木造の日本家屋なのだ。
一つは、西洋人だから当たり前だけれど、畳の上に靴の生活ゆえ、畳の上にテーブルや椅子、ベッドを置いていたこと。
もう一つは、壁の演出である。壁一面に壁紙が貼り巡らせてある。空間を模様で埋め尽くすのは西洋文化そのものだ。しかもそれはなぜかオランダから持ち込んだ壁紙ではなく、日本の唐紙で代用されている。図柄は松の木だけれど、一般住居には派手すぎて、遊郭やお茶屋のような仕様かとも思える。(考えてみれば、オランダ人は遊郭くらいしか日本の部屋の中を知らなかったのかも)
そして何より一番異様だったのが、ご覧の通り、ふすまの代わりに取り付けられた重厚な「ドア」である。カピタン部屋では、ふすまというふすまはすべてこのドアに変えられていた。
プライバシーを重んじる西洋人には、鍵もなく、しかも紙でできているふすまは、どうしても受け入れられないものだったのだろう。
色も柄も素材も何一つコーディネートされていないちぐはぐなカピタン部屋、そこはまさに、東と西の建築文化が混ざり合う見事な「チャンポンルーム」なのであった。
現在の「出島」は観光施設として近年復元されたもので、オランダ人が住んでいた当時が再現されている。復元に際しては、日本史の教科書に必ず登場するあの絵、すなわちシーボルトのお抱え絵師、川原慶賀が書いた扇形の出島の絵がベースになっている。
出島の中心にはカピタン部屋と名付けられた出島のボスの住居がある。長崎にはさまざまな外来語があるが、カピタンとは英語のCAPTAINから来ているとのこと。
そうした雑学はともかくとして、カピタン部屋はオランダ人が日本家屋をどのように使っていたかがわかる面白いところである。そう、出島の建物は木造の日本家屋なのだ。
一つは、西洋人だから当たり前だけれど、畳の上に靴の生活ゆえ、畳の上にテーブルや椅子、ベッドを置いていたこと。
もう一つは、壁の演出である。壁一面に壁紙が貼り巡らせてある。空間を模様で埋め尽くすのは西洋文化そのものだ。しかもそれはなぜかオランダから持ち込んだ壁紙ではなく、日本の唐紙で代用されている。図柄は松の木だけれど、一般住居には派手すぎて、遊郭やお茶屋のような仕様かとも思える。(考えてみれば、オランダ人は遊郭くらいしか日本の部屋の中を知らなかったのかも)
そして何より一番異様だったのが、ご覧の通り、ふすまの代わりに取り付けられた重厚な「ドア」である。カピタン部屋では、ふすまというふすまはすべてこのドアに変えられていた。
プライバシーを重んじる西洋人には、鍵もなく、しかも紙でできているふすまは、どうしても受け入れられないものだったのだろう。
色も柄も素材も何一つコーディネートされていないちぐはぐなカピタン部屋、そこはまさに、東と西の建築文化が混ざり合う見事な「チャンポンルーム」なのであった。
KEI
by kmd-design
| 2012-07-26 21:25
| 日本あっちこっち