2008年 04月 18日
あいまい語の効用
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本屋の辞書コーナーで『あいまい語辞典』という本を見つけた。
日本語の辞書のところには、国語辞典、漢和辞典に、まじりことわざ辞典やらカタカナ語辞典、類語辞典やら実にさまざまな種類が並んでいる。その中に『あいまい語辞典』はあった。
あいまい語だけを取り揃えた辞典の中身はいかに、とおもむろにページをめくってみると、多数のボキャブラリーと、それらの具体的な使用例が載っている。パラパラと斜め読みしていくと、これがなかなか面白い。立ち読みするのも何なので、早速買って読むことにした。
ところでこの本、辞典と銘打ってはいるものの、実際には日本語の使い方に関する読み物である。気負わず気楽に読める内容なので、辞書ではないコーナーに並べた方が内容的には合っているような気も。
この本に載っているボキャブラリーを見ると、我々が常日頃使っている言葉の中にあいまい語と呼ばれるものがいかに多く含まれているかがよくわかる。思い当たる言い回しばかりで苦笑の連続だ。
本著は3人の共著で、各々解説してくれているのだが、この方々は外国人に日本語を教える立場にあるようで、そういう場面で改めて日本語におけるあいまい語の多さに気付かされるそうである。
日本語になぜあいまい表現が多いかというひとつの根拠として、たとえば英語では常に「I」(私)が中心になって組み立てられているのに対し、日本語では必ずしも「私」が主語とは限らないということが挙げられる。これは自分が行動するというより、周りの自然や事物と共生しているという日本人独特の感性の表れらしい。普段意識することはないが言われてみれば確かにと頷ける。いろいろな場面で「和」を重んじる日本人の国民性が、あいまい語を生み出したとも言えそうだ。
そんなあいまい語の極め付きは、アレのアレ…のような代名詞だらけの会話である。
日本人が得意とする、暗黙の了解というやつだろう。
かつての首相、岸信介はナニがナニして…という代名詞会話が得意で、国会答弁でもそういった言葉を使っていたらしい。最近では羽田首相がナニに変わってアレを多用したとか。国会答弁ほどの大事な場面ですらナニだのアレだのという言葉が通用してしまうのだから、日本の政治も大いに「あいまい」である。
思い起こせば、私もアレという言葉には敏感だ。
デザインの修業時代、師匠から突然
「アレはどうした?」
といった質問をよく投げかけられ、ドギマギした覚えがある。
「アレはどうした?」と聞かれて弟子の分際で「アレって何ですか?」などと聞き返す訳にはいかない。師匠が今何を気にかけているのかがわからないようでは弟子として失格だ。
「アレ」が何を指すのか、未熟な弟子は脳みそをフル回転させながら、おそらくあのことだろうと「アタリ」を付けピッと引き出しからピックアップする。その時間約2秒。
次には、
「はい。××は連絡しておきました」とか
「△△を調べたらこれこれでした」とか、会話がスムーズに続かなければいけない…。
それが幸運にもヒットした時の喜びと安堵感。こういうことでも人間は鍛えられるものなのだ。あいまい語は人を育てる。(ウソです)
しかし大人になった今ふと考えてみると、答えは間違いでも適当でも案外平気だったのだと気付いた。
「アレはどうした?」のアレは必ずしもひとつではないのだから、適当な答えでもそこから会話は続いていくのだ。師匠の方にもそのくらいの優しさや度量はあった筈である。
あいまい語は人間関係の潤滑油のようなもの。
あいまいな日本語こそあたたかいではないか。
KEI
by kmd-design
| 2008-04-18 15:22
| Book & Cinema