2006年 12月 19日
記憶の中の団地
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先日、本屋で雑誌をパラパラとめくっていた時、一枚の写真に目が留まった。それはある団地の写真だった。
見る人によっては何てことない風景なのだが、私はあまりのなつかしさと、その団地がまだ存在していた事実に驚きを覚え、休みの日に訪ねてみようと思ったのだ。
ところは杉並区、丸の内線、南阿佐ヶ駅近くの阿佐ヶ谷住宅。確か昔は成宗(なりむね)団地と呼ばれていたと思う。ちなみに、現在は成宗という地名はない。
子供の頃、その団地に親しかった友人Y子が住んでいた。小学生になりたての頃だ。当時住んでいた中野から電車に乗り二駅ほどの阿佐ヶ谷に何度も訪れた。もともとY子は私の住んでいた町で、Y子の父親が勤務する都市銀行の社宅に住んでいたのだが、ある時、成宗団地が当選したかで、そこへ移り住んでいったのだった。Y子一家は窮屈な社宅暮らしから解放され、とても嬉しそうだった。
成宗団地は、2階建てのテラスハウスの棟と、3階建てと4階建ての高層のいわゆる団地スタイルの2タイプの棟がある。Y子の家は後者だった。
今でもその家の間取りは鮮明に思い出すことができるのだが、六畳や四畳半の畳の部屋3室とダイニングキッチン、キッチンの横にお風呂場とトイレがあり、キッチンの前がベランダになっていた。3DKの間取りだ。成宗団地は1950年代にできたものらしいが、住宅公団の建物で、当時はおそらくとてもモダンな住まいだったのだと思う。
その日、私はわざと地図で調べずに、昔歩いた道の記憶をたどるように阿佐ヶ谷駅から団地のある方角へ行った。青梅街道を渡ってしばらく行くと道が細くなり、そのあたりからが団地だったように記憶しているのだが、果たして現在どうなのだろう?と思いながらそちらの方へ向かうと、新しくせせこましい住宅が建っているものの、その先には見覚えのある古い建物が建ち並ぶ一角が広がっていた。
まさに私の記憶の中の成宗団地だった。
建物はすでに50年以上建っているため朽ちて、多くは空き家になり、取り壊しの日を待っている寂しさがあった。
団地の全体計画は改めて見ると、外構面積が多く、今にして思えば贅沢な建て方である。広場や道もゆったりして健康的な集合住宅なのだった。特に低層のテラスハウスは、中を改装すれば今でも充分住めるくらいの趣があった。
後に調べてみると、この棟はどうやら巨匠前川國男の作品ということを知ってさらに驚いた。
Y子が住んでいたのはどの棟だったのか、そこまでの確実な記憶はないが、おぼろげにここかなと思われるところはあった。外から見上げると、私の記憶している間取りと少しも変わっていなかった。
都会のど真ん中、しかも私の生活圏ともいえる身近に、時計が止まったように取り残された場所があったのだ。
なんだか昔の時間の中に迷い込んだような不思議な気持ち。
どこかでY子が呼んでいるような気がした。
KEI
by kmd-design
| 2006-12-19 14:39
| Essay