2014年 04月 14日
落とし物、拾い物
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四つにたたんだ千円札が一枚、道の端っこに落ちている。誰かが何かの拍子で落としたのだろう。
(うわ、もうけ!千円でもうれしい。でもこれが一万円札だったらもっとだけど)
と、思いながら辺りを見回す。どこまで欲深なんだか私。
今まで道でお札を拾ったこと数回。
最初は高校生の時、学校帰りの道でむき出しのお札を拾った。五千円札が1枚と千円札が2枚、計七千円だった。
近くの交番に「そこで拾いました」と届けたのだが、結局落とし主が現れることもなく、半年経って私のものとなった。当時の七千円は大きく、自分にとってはちょっとした事件だった。
けれどもその時学習したのは、名前も目印もないお札は、届けてもあまり意味がないということ。そもそも落とし主自身が気付いていないのだから名乗り出る人はいないのである。だからといって届けないでネコババすればもちろん拾得物横領罪ではあるのだけれど。
もっとも、竹やぶから一億円とか、銀座のど真ん中で一億円なんていう場合は(若い方は知らないかも)もちろん交番がどんなに遠くとも届ける。この場合も別の意味で落とし主が現れることはないのだから。
そうするとこんなことも考えられる。もしも、私が一億円の裏金を手に入れることのできるワルだったら、あえて拾いましたと言って届け出る。当然落とし主は現れっこない。それどころか半年経てばきれいなお金となって自分の元へ返ってくる。拾得物はマネーロンダリングに使えるということ。もっともこれは一回こっきりだけれど。
いくらであれ拾った時はもうけたと思う現金だが、おそらくは自分も同じくらいどこかで落としていることは確信できる。人生そんなものだ。
自分の身に置き換えてみても、財布を盗られたとか、電話ボックスに置き忘れたとか、ゴミと一緒に捨ててしまったとか…思い起こせばさまざまあるが、こんなのはカワイイもの。これまで失くした総額は拾った額を遥かに超えている。
(うわ、もうけ!千円でもうれしい。でもこれが一万円札だったらもっとだけど)
と、思いながら辺りを見回す。どこまで欲深なんだか私。
今まで道でお札を拾ったこと数回。
最初は高校生の時、学校帰りの道でむき出しのお札を拾った。五千円札が1枚と千円札が2枚、計七千円だった。
近くの交番に「そこで拾いました」と届けたのだが、結局落とし主が現れることもなく、半年経って私のものとなった。当時の七千円は大きく、自分にとってはちょっとした事件だった。
けれどもその時学習したのは、名前も目印もないお札は、届けてもあまり意味がないということ。そもそも落とし主自身が気付いていないのだから名乗り出る人はいないのである。だからといって届けないでネコババすればもちろん拾得物横領罪ではあるのだけれど。
もっとも、竹やぶから一億円とか、銀座のど真ん中で一億円なんていう場合は(若い方は知らないかも)もちろん交番がどんなに遠くとも届ける。この場合も別の意味で落とし主が現れることはないのだから。
そうするとこんなことも考えられる。もしも、私が一億円の裏金を手に入れることのできるワルだったら、あえて拾いましたと言って届け出る。当然落とし主は現れっこない。それどころか半年経てばきれいなお金となって自分の元へ返ってくる。拾得物はマネーロンダリングに使えるということ。もっともこれは一回こっきりだけれど。
いくらであれ拾った時はもうけたと思う現金だが、おそらくは自分も同じくらいどこかで落としていることは確信できる。人生そんなものだ。
自分の身に置き換えてみても、財布を盗られたとか、電話ボックスに置き忘れたとか、ゴミと一緒に捨ててしまったとか…思い起こせばさまざまあるが、こんなのはカワイイもの。これまで失くした総額は拾った額を遥かに超えている。
極めつけは、ドイツの博物館で貴重品バッグを忘れたこと。
ユーロ、日本円の現金はもちろん、クレジットカード、パスポート、携帯電話など、旅行者にとってのあらゆる貴重品を置き忘れた。しかも夫と二人分。
これは私の人生においてもかなりの失態だった。
少々長くなるが、事の顛末はこうだ。
博物館で入場券を買った後、館内を見学するために身軽になろうとロッカールームのロッカーに大きな荷物やコートを入れ、貴重品とカメラだけを持って出た。(ここまではよく覚えている)それから、展示ゾーンの入り口でもぎりの兄さんにチケットを見せて入場した。
その時ふと(この兄さんドイツ人にしてはずいぶんイケメンだな、何でこんなところでもぎりなんかやっているのだろう)と思ったのをよく覚えている。(不謹慎でした)
それから展示を見たり写真を撮ったりとウロウロしていたのだが、小一時間ほど経って、映像コーナーで初めて立ち止まり、映像をボーっと見ていた時突然降ってわいたように
「自分は、カメラは持っているけれど、他の荷物はどうしたんだっけ?」
という恐ろしい状況に気付いてしまった。
その瞬間血の気が引いた。
「ない、ない、貴重品!」
頭が混乱する。
「どうしよう。ここは海外。落とし物なんて、出てくる可能性ゼロ!」(決めつけてます)
一緒にいた夫は私がパニックになっているので、逆にどんどん冷静になっていったのだろう。私をなだめ、どこに置き忘れたか、今来たところを戻りながら思い出そうと言う。
不思議なことにこの時夫は全く私のミスを責めなかった。今考えてもそれは偉かったと思うが、あまりに事が大きすぎて言葉も出なかったのかもしれない。
記憶を巻き戻す、その一言でやや落ち着きを取り戻し、今来た道を引き返しながら進んでいくと、荷物を置いたのは展示室に入る前の、トイレ以外にないという結論にたどりついた。
そして、入り口で尋ねようと足早に戻っていくと、そこにいたのは先程のイケメン兄さんだった。
ユーロ、日本円の現金はもちろん、クレジットカード、パスポート、携帯電話など、旅行者にとってのあらゆる貴重品を置き忘れた。しかも夫と二人分。
これは私の人生においてもかなりの失態だった。
少々長くなるが、事の顛末はこうだ。
博物館で入場券を買った後、館内を見学するために身軽になろうとロッカールームのロッカーに大きな荷物やコートを入れ、貴重品とカメラだけを持って出た。(ここまではよく覚えている)それから、展示ゾーンの入り口でもぎりの兄さんにチケットを見せて入場した。
その時ふと(この兄さんドイツ人にしてはずいぶんイケメンだな、何でこんなところでもぎりなんかやっているのだろう)と思ったのをよく覚えている。(不謹慎でした)
それから展示を見たり写真を撮ったりとウロウロしていたのだが、小一時間ほど経って、映像コーナーで初めて立ち止まり、映像をボーっと見ていた時突然降ってわいたように
「自分は、カメラは持っているけれど、他の荷物はどうしたんだっけ?」
という恐ろしい状況に気付いてしまった。
その瞬間血の気が引いた。
「ない、ない、貴重品!」
頭が混乱する。
「どうしよう。ここは海外。落とし物なんて、出てくる可能性ゼロ!」(決めつけてます)
一緒にいた夫は私がパニックになっているので、逆にどんどん冷静になっていったのだろう。私をなだめ、どこに置き忘れたか、今来たところを戻りながら思い出そうと言う。
不思議なことにこの時夫は全く私のミスを責めなかった。今考えてもそれは偉かったと思うが、あまりに事が大きすぎて言葉も出なかったのかもしれない。
記憶を巻き戻す、その一言でやや落ち着きを取り戻し、今来た道を引き返しながら進んでいくと、荷物を置いたのは展示室に入る前の、トイレ以外にないという結論にたどりついた。
そして、入り口で尋ねようと足早に戻っていくと、そこにいたのは先程のイケメン兄さんだった。
しかも彼は私を見るなり
「YOU何か落としたよね」と、言うではないか!しかも今頃気付いたの?と言わんばかりの表情で。
おそらく血相を変えた私の顔を見て、一瞬で忘れ物の主はコイツだ、とわかったのだろう。
その瞬間の私の安堵感と言ったら、それはもう子供でも一人産み落としたかのような気持ちだった。正直言ってお金を落とした損失より、どちらかといえば、これから先に発生するはずだったさまざまな面倒を回避でき、心底助かったという思いだった。
落とし物は届けられて、しかもそのことが入り口にまで伝わっているハンドリングのよさ!
「すっ、すごい。これって日本よりすごいじゃない!」と叫びたかった。
私はこの時ほど「ドイツ人大好き」と思ったことはない。
届けてくれたのはドイツ人ではなかったのかもしれないがそんなことはこの際問題ではない。
「とにかく、ここがドイツでよかった。やっぱドイツだよね!」などとドイツ人やドイツという国に賞賛を唱えながら、兄さんに教えてもらった預り所に足を運んだのだった。
果たして貴重品は、そっくりそのままだった。パスポートや携帯電話だけでなく現金すらも手つかずで、何事もなかったように私の手元に戻ってきた。
「お・も・て・な・し」が一斉風靡した昨年、オリンピック東京大会招致の最終プレゼンテーションのスピーチで、「東京は何か落としても戻ってくる、世界一安全な都市です」という一節があったのを覚えておいでだろうか。
私はそのスピーチを聞きながら、日本人の誠実さを訴える例えとして、また、東京の日常を伝える裏付けにぴったりだなと思いつつ、自身のこの体験を思い出していた。
そうなのだ。改めて私はこの場で声を大にしてドイツ人に感謝したい。
「日本人は誠実です。でもドイツ人はもっとよ!!」
KEI
「YOU何か落としたよね」と、言うではないか!しかも今頃気付いたの?と言わんばかりの表情で。
おそらく血相を変えた私の顔を見て、一瞬で忘れ物の主はコイツだ、とわかったのだろう。
その瞬間の私の安堵感と言ったら、それはもう子供でも一人産み落としたかのような気持ちだった。正直言ってお金を落とした損失より、どちらかといえば、これから先に発生するはずだったさまざまな面倒を回避でき、心底助かったという思いだった。
落とし物は届けられて、しかもそのことが入り口にまで伝わっているハンドリングのよさ!
「すっ、すごい。これって日本よりすごいじゃない!」と叫びたかった。
私はこの時ほど「ドイツ人大好き」と思ったことはない。
届けてくれたのはドイツ人ではなかったのかもしれないがそんなことはこの際問題ではない。
「とにかく、ここがドイツでよかった。やっぱドイツだよね!」などとドイツ人やドイツという国に賞賛を唱えながら、兄さんに教えてもらった預り所に足を運んだのだった。
果たして貴重品は、そっくりそのままだった。パスポートや携帯電話だけでなく現金すらも手つかずで、何事もなかったように私の手元に戻ってきた。
「お・も・て・な・し」が一斉風靡した昨年、オリンピック東京大会招致の最終プレゼンテーションのスピーチで、「東京は何か落としても戻ってくる、世界一安全な都市です」という一節があったのを覚えておいでだろうか。
私はそのスピーチを聞きながら、日本人の誠実さを訴える例えとして、また、東京の日常を伝える裏付けにぴったりだなと思いつつ、自身のこの体験を思い出していた。
そうなのだ。改めて私はこの場で声を大にしてドイツ人に感謝したい。
「日本人は誠実です。でもドイツ人はもっとよ!!」
KEI
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| 2014-04-14 18:02
| Essay