2012年 04月 04日
冬のデザイン
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雪吊り、といえば兼六園。冬の金沢の風物詩である。
そもそも雪吊りとは、積雪地帯で雪の重みで樹木の枝が折れないように、縄で枝をつり上げることだが、吊り上げる形や縄の太さ、本数、また、小さな樹木はそのまま枝をまとめて巻き込むなど方法はさまざまあるらしい。一般的に大きな木の雪吊りの方法は、樹木の幹付近に柱を立て、柱の先端から各枝へと放射状に縄を張るやり方で、これは「りんご吊り」と呼ばれている。
どうしてりんごなのかというと、明治以降西洋りんごの栽培が日本で始まり、その実の重さを支えるために行った方法が今の雪吊りだったというわけだ。雪吊りとはそもそもリンゴを吊るためのものだったらしい。
それでは北陸、兼六園では雪吊りをどのように行っているかといえば、これがなかなかすごい。
作業は例年11月1日に始まり、12月中旬頃までかけて、兼六園お抱えの庭師が中心となって、延べ人数何と500人もの手をかけて行うのだそうだ。段取りもきっちり決められ、園内随一の枝ぶりを誇る「唐崎松」から作業を始め、春になって縄を外す際にもこの松の縄を最初に解くとのこと。「唐崎松」には、5本の芯柱が建てられ、何と総数約800本もの縄が吊られ、一本一本が松の枝に結び付けられていく。もちろん吊り方は「りんご吊り」である。こうなってくると雪吊りとは、あまりにも巧緻な職人技であり、見事な儀式でもある。
ちなみに「唐崎松」とは前田藩の13代藩主前田斉泰(なりやす)が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てたと言われる黒松で、兼六園ではその他にも見事な松には名前が付けられ、それからすると松がまるで人格を持っているようにさえ思えてくる。
日本庭園の素晴らしさは、春夏秋冬、四季折々の植物や風景の変化であり、それは見る人を飽きさせないが、そうした中での雪吊りは、もはや雪害対策という以上に、冬の庭園風景を演出する上での欠かせない作業と言えるだろう。
大小さまざまに枝を広げる松の一本一本に縄をかけ、全体でバランスの良い形に仕上げる技は、松をどのように形づくっていくかの作業と同じだ。雪で覆い尽くされぼんやりと一体化してしまう風景の中に、人の手で描くシャープな円錐型の幾何学形態が加わると、庭園はモダンで鋭いデザインへと変化する。それは城下町金沢の優れた美意識と細やかな表現の集積に他ならない。兼六園では冬場の週末は夜間のライトアップが行われているのだが(それが植物にとって良いか悪いかは別として)、人工照明によって照らし出された雪吊りの風景は、自然と人工の美があいまって幻想的なことこの上ない。
ところで、雪吊りは「ゆきつり」、あるいは「ゆきづり」と発音するらしい。私はてっきり「ゆきつり」と思っていたのだが、先日、金沢最寄りの小松空港で見つけた北陸出身の著名パティシエのお菓子のパッケージに、雪吊りのイラストと共にローマ字で「YUKIZURI」と書かれており、これを見て果たして雪吊りは「ゆきづり」と読むのが正しかったのか?と疑問を持ってしまった。調べてみると「ゆきつり」「ゆきづり」どちらも間違いではないことがわかったのだが、いずれにせよこのパティシエも雪吊りの造形が潜在意識の中にあり、お菓子をデザインする際にそのイメージが飛び出してきたのではないかと思うと、なんだか親しみを感じ、思わず購入してしまった。
「YUKIZURI」の言葉から連想するのは「行きずりの恋」「行きずりの街」などに表現される刹那的で投げやりなイメージだが、「行きずり」の観光客の目さえも留める美しい雪吊りこそ、まさに北陸の冬のデザインの代表格ではなかろうか。
KEI
そもそも雪吊りとは、積雪地帯で雪の重みで樹木の枝が折れないように、縄で枝をつり上げることだが、吊り上げる形や縄の太さ、本数、また、小さな樹木はそのまま枝をまとめて巻き込むなど方法はさまざまあるらしい。一般的に大きな木の雪吊りの方法は、樹木の幹付近に柱を立て、柱の先端から各枝へと放射状に縄を張るやり方で、これは「りんご吊り」と呼ばれている。
どうしてりんごなのかというと、明治以降西洋りんごの栽培が日本で始まり、その実の重さを支えるために行った方法が今の雪吊りだったというわけだ。雪吊りとはそもそもリンゴを吊るためのものだったらしい。
それでは北陸、兼六園では雪吊りをどのように行っているかといえば、これがなかなかすごい。
作業は例年11月1日に始まり、12月中旬頃までかけて、兼六園お抱えの庭師が中心となって、延べ人数何と500人もの手をかけて行うのだそうだ。段取りもきっちり決められ、園内随一の枝ぶりを誇る「唐崎松」から作業を始め、春になって縄を外す際にもこの松の縄を最初に解くとのこと。「唐崎松」には、5本の芯柱が建てられ、何と総数約800本もの縄が吊られ、一本一本が松の枝に結び付けられていく。もちろん吊り方は「りんご吊り」である。こうなってくると雪吊りとは、あまりにも巧緻な職人技であり、見事な儀式でもある。
ちなみに「唐崎松」とは前田藩の13代藩主前田斉泰(なりやす)が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てたと言われる黒松で、兼六園ではその他にも見事な松には名前が付けられ、それからすると松がまるで人格を持っているようにさえ思えてくる。
日本庭園の素晴らしさは、春夏秋冬、四季折々の植物や風景の変化であり、それは見る人を飽きさせないが、そうした中での雪吊りは、もはや雪害対策という以上に、冬の庭園風景を演出する上での欠かせない作業と言えるだろう。
大小さまざまに枝を広げる松の一本一本に縄をかけ、全体でバランスの良い形に仕上げる技は、松をどのように形づくっていくかの作業と同じだ。雪で覆い尽くされぼんやりと一体化してしまう風景の中に、人の手で描くシャープな円錐型の幾何学形態が加わると、庭園はモダンで鋭いデザインへと変化する。それは城下町金沢の優れた美意識と細やかな表現の集積に他ならない。兼六園では冬場の週末は夜間のライトアップが行われているのだが(それが植物にとって良いか悪いかは別として)、人工照明によって照らし出された雪吊りの風景は、自然と人工の美があいまって幻想的なことこの上ない。
ところで、雪吊りは「ゆきつり」、あるいは「ゆきづり」と発音するらしい。私はてっきり「ゆきつり」と思っていたのだが、先日、金沢最寄りの小松空港で見つけた北陸出身の著名パティシエのお菓子のパッケージに、雪吊りのイラストと共にローマ字で「YUKIZURI」と書かれており、これを見て果たして雪吊りは「ゆきづり」と読むのが正しかったのか?と疑問を持ってしまった。調べてみると「ゆきつり」「ゆきづり」どちらも間違いではないことがわかったのだが、いずれにせよこのパティシエも雪吊りの造形が潜在意識の中にあり、お菓子をデザインする際にそのイメージが飛び出してきたのではないかと思うと、なんだか親しみを感じ、思わず購入してしまった。
「YUKIZURI」の言葉から連想するのは「行きずりの恋」「行きずりの街」などに表現される刹那的で投げやりなイメージだが、「行きずり」の観光客の目さえも留める美しい雪吊りこそ、まさに北陸の冬のデザインの代表格ではなかろうか。
KEI
(全日本ネオン協会広報誌NEOS「サインとデザインのムダ話」より)
by kmd-design
| 2012-04-04 11:23
| 日本あっちこっち