2010年 07月 12日
豪商の女中部屋
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鳥取の智頭(ちず)町へ行った。
智頭町は江戸の参勤交代で形成された宿場町である。
かつて上級武士の宿泊先にもなったという街道筋の家、石谷邸を見学した。
三千坪の敷地に蔵なども含め二十棟余りが入り組んで建ち並ぶ石谷邸は、江戸から明治、大正、そして昭和初期の四時代にもまたがって建てられた豪商の屋敷である。
石谷家の祖先は江戸期に鳥取より智頭に移り住み、やがて庄屋となって、借金で首が回らなくなった者から借金のかたとして土地を得ることで次第に力を付けていく。商いは米、酒、味噌などの問屋業に加え、金融、林業等を生業とし、ある時は政治家も排出した。
議員であった明治~大正時代の家長が普請道楽で、財力にあかして各地から大工をはじめ様々な技術者を集め、技の粋を集めた建築を作り上げたのだ。それが現存する石谷邸の大半である。
武家屋敷風の門を抜け、屋敷へは正面玄関でなく勝手口から入った。そこは広い土間の台所だ。真ん中にかまどがあり、土間の横は囲炉裏のある座敷になっている。この辺りは使用人のエリアだ。そこから長い廊下を通って、家族の食事室、居間、さらに見事な庭園を臨む座敷、茶室などが続く。華美ではないが家全体がゆったりと贅沢に造られている。
本屋(ほんおく)二階は女子供の部屋や仏間で、それとは別の端部に山番の集会部屋が設けられていた。近年は山林王として有名だっただけに山番の数も半端ではなかったようだ。
そんな立派なことこの上ない屋敷をめぐり、豪商の財力にため息をついたものの、中でも一番興味を惹かれたのはこの建物で一番小さな「女中部屋」だった。
女中部屋は台所の上部の隅に、まるで見張り小屋かのように設けられている。広さは畳が三枚分だが、だだっ広い座敷ばかりの建物の中で、唯一、ツリーハウスのような狭い独立感がおもしろい。
現在は階段が設けられているが、昔は女中部屋の出入りにはいちいち梯子をかけて登ったり下りたりしたとのこと。上に登って梯子を外せば誰も女中部屋に入ることはできない。そう、このツリーハウスのようなつくりは、女中部屋に簡単に押し入ることができないようにするためのものだった。
その説明を聞いてすぐさま思い浮かんだのはモーパッサンの『女の一生』だ。小説上のこととは言え、フランス貴族の主人が女中と密通する話とこの豪商の屋敷が一瞬重なってしまった。もちろんここでは家人というより使用人の行動を抑制するためだろうが、誰にせよ面倒な結果を未然に防ぐための工夫であることに違いない。大工の知恵なのか、普請道楽の主の知恵なのか、広く立派な建物の中にあって、人間的な断片がのぞく女中部屋の仕掛けであった。
(写真は女中部屋から見た風景)
KEI
by kmd-design
| 2010-07-12 17:33
| 日本あっちこっち